はじめに
当施設には、生活に困窮したさまざまな背景を持つ方が日々入居されます。
つい先日、入ってこられた40代の男性から聞いた話は私に強い違和感と疑問を残しました。
一見すると制度の中にある“支援の形”に見えながら、
実際には「誰かの利益のために、誰かの人生が利用されている」——
そんな現実があることを、この記事ではお伝えしたいと思います。
彼がいた場所
男性が以前暮らしていたのは、大阪市内の某区にある、精神障害者向けのグループホーム。
「安心して暮らせる環境」として制度に組み込まれているはずのその場所で、
彼が経験していたのは、想像とはまるで違うものでした。
初対面の際、彼が静かに口にした言葉が今でも印象に残っています。
「あそこは、“病気”じゃないと入れてもらえないんです。」
支援ではなく、“仕組み”だった
彼の話によると、入居の前段階で施設職員や関係者から次のような“指導”があったといいます。
「こう言えば診断がもらえる」
「この症状があることにしよう」
つまり、実際には病気でない、または非常に軽い症状であるにもかかわらず、“病気として認定される”ための演技を仕込まれるということです。
これは“個人の誤魔化し”ではなく、**制度の枠組みを利用した構造的な“仕組み”**に近いものでした。
そして、それが単なる指導に留まらないことが、初回の診察時に明らかになります。
診察という名の“儀式”
「グループホームには定期的に先生が来るんです。
最初の診察のとき、職員から『診察が始まったら、机にうつ伏せて一言もしゃべらないでください』と言われました。
“先生もわかってらっしゃるので大丈夫です”って。」
実際に診察が始まると、本人はその通りに黙ってうつ伏せ、医師はそのまま書類に何かを記入していたといいます。
もはやそれは、**本人の状態を診る医療ではなく、「形式を整えるための儀式」**でした。
“取れるように診断書を書く”という言葉
そして半年ほど、定期的にその医師の診察を受けたのち、
ついにこんな言葉を告げられたそうです。
「そろそろ精神2級が取れるように、診断書を書きましょうか。」
彼の状態が変わったわけではありません。
医師の判断というより、制度上の“タイミング”が来たから、という説明に近いものでした。
制度を収益化するスキーム
この話を聞いて、私の頭に浮かんだのは、まるで完成された“スキーム”でした。
- 健康な状態に近い人に、精神疾患を装わせる
- グループホームに入居
- 生活保護申請・受給
- 保護費の管理・一部天引き(家賃・食費・その他)
- 形式的な診察を繰り返す
- 障害者手帳(精神2級)を取得
この流れのなかで、「本人の意思」や「本当に必要な支援」は後回しにされ、
“制度を使う側の利益”が優先されているように見えて仕方がありません。
もちろん、すべての施設がそうではありません。
ですが、こうした仕組みが**「合法の範囲内」で繰り返されていること**が、問題の根深さを物語っています。
彼の今
当施設に来てから、彼はまだ数日しか経っていません。
けれど、毎日しっかり食事を摂り、夜もよく眠れているようです。
「ここは静かでいいですね」
そう、ぽつりとこぼしたその一言が、何よりも本音だったのではないかと感じました。
「制度がある」ことと「制度が機能している」ことは違う
生活保護制度や障害者支援制度、グループホームという仕組み——
それらは本来、「困っている人のため」に存在するものです。
でも、制度そのものが収益構造と密接に結びつくようになると、
支援の形は次第に“都合のいいフォーマット”に変質してしまいます。
本人のための制度だったはずが、
気づけば本人抜きの“運用効率”だけが優先されていたという構図。
最後に
彼の話を、すべて鵜呑みにすることはできません。
けれど、これまで支援の現場で似たような話を何度も聞いてきた私は、
この話を「偶然」とはどうしても思えませんでした。
「制度がある」ということと、
「制度が本当に機能している」ということは、まったく別の問題です。
“制度を利用する人”と、“制度に利用される人”が入れ替わるような福祉のあり方に、
私たち支援者は、もっと目を向けなければならないと、強く思います。
※当ホームページに記載されている内容は実際に管理人が体験した経験談ではありますが、地域により同じ手法が通用しないことがあります。実際に私が施設長をしている無料低額宿泊所がある都市でも、区が違えば対応も違うことが多々あります。知的好奇心を満たす読み物としてご理解頂きますようお願い申し上げます。
生活保護な人たち 管理人